最終日の1/1、那谷寺を後にして、最後の観光地として選んだのは、、、
日本自動車博物館です。
こちらは初めての訪問。クルマ好きとしては、一度は行っておかないと。
しかも、元旦から営業しているので、こちらに決めました。
入口では可愛いスバル360がお出迎え。
中に入ると、3階建ての建物内に様々なクルマがぎっしり。
昔のクルマって、個性ありますよね。
時代を感じさせるデザインがまたイイ(^^
日産 フェアレディZ 432。
日産 スカイライン。
まあ1台1台じっくり見ていると、時間がいくらあっても足りません。
映画「ルパン三世 カリオストロの城」で、チャールストンが出ていましたね。
なんと、昔乗ったことのあるEP71 スターレットターボが!
うーん、懐かしい。 当時はめちゃ速かったですよ(^^
初代AW-11のMR-2。
昔は色んなクルマが登場してきて楽しかったなぁ。
これは!!
メッサーシュミット。前と後ろで2人乗り(^^
カエルのようなカワイイ顔立ち。
映画「未来世紀ブラジル」に出てたっけ?
トヨタスポーツ800。
まあ様々なジャンルのクルマが展示されていて、見ごたえありました。
十分満喫した後、この施設を後にしました。
レンタカーを返却し、小松空港へ。
お腹が空いていたので、レストランへ向かうも、元旦により休業。。。
2階のロビーでお土産を見た後、搭乗口の方に売店でもあるかなーと、
保安検査を通っていると、16時10分。大きな揺れが。。。
東日本大震災以来の大きな揺れにとても驚きました。
(後に、能登半島にて最大震度7、この小松空港は震度5強と知りました)
津波警報から大津波警報に代わり、空港内の人は、3階の展望デッキに避難することに。
展望デッキは次第に暗くなり、寒くなってきました。これは17時19分撮影。
アルミブランケット、ブランケット、スナックや飴、水など、スタッフの方々が、何度も巡回して漏れの無いよう持ってきてくれました。
とても冷静かつ丁寧な対応で、落ち着きました。
その後、ようやく2階のフロアに戻れることになりました。これは18時23分撮影。
避難者の数からして椅子が足りない為、追加の椅子を準備している様子です。
その後、非常食のご飯やパン、水が配られました。
私たち夫婦は、見つけた椅子に座りながら少々茫然としていました。
機内に預けたスーツケースに携帯電話の充電ケーブルがあるため、充電が出来ない。。。
今日はこの小松空港で夜を明かすことになりました。
津波警報の為、誰一人、空港から出ることは出来ません。
エアーマットも配られ、マットに寝て夜を過ごしましたが、この状況下でほぼ眠れませんでした。
ただ、建物の暖房は強くしてくれて、少々暑いくらい。
照明も一部を残し、個別に消灯してくれました。
トイレもすぐ近くにあり、不便ではありませんでした。
とにかく、空港関係者の方々が、非常に冷静かつ丁寧な対応をしていて、
この有事の中、私たちは戸惑うことなく過ごすことが出来ました。感謝です。
翌朝1/2、振替便の手配をしに1階の受付へ。
「HAPPY NEW YEAR 2024」の広告が寂しく流れておりました。
1/2は年始休み中ということもあり、既にどの便も満席状態。
急遽、臨時便が出るとのことでしたが、ウチらの初動が遅かった為か、
そちらも既に満席とのこと。。。
最終便の機種が大きなものに変更されるとのことで、その座席をなんとか確保。
ただ、最終便までひたすら待つのはちょっと苦痛なので、そちらを確保したまま、
今日出発するそれぞれの便の空席待ちも可能にしてもらえました。
ただ、実際は午前の便の空席待ちに入ることは出来ず。787はまたもやお預け。
夕方となり、昨日乗る予定だった756便。
出発15分前の呼出時刻になっても何も表示されない。。。
やはり最終便になるのかーと諦めつつも、このモニターを見続けていると、、、
出てきました! ウチら夫婦の名前!(TT
席はバラバラとなりましたが、ボクが奥さんの3列後ろという近くの座席で、
無事、小松空港を後にしました。
VODで、映画「ミッション・インポッシブル デッドレコニング part.1」があったので、迷うことなくチョイス。
大好きな映画の世界へと入っていきました。
そして、ふと前方の他の人のモニターが視界に入ると、、、
飛行機が燃えている(汗)
慌てて、映画鑑賞を中止し、そのニュースのチャンネルに変えると、
今向かっている羽田空港にて、日本航空の旅客機が炎上している。。。
その時のニュースでは、着陸時の衝突の瞬間の映像と、滑走路上で機内に火が上がっている映像が、繰り返し流れている状況だったので、まさか、まだこの機内に乗客がとり残されているのでは、、、と思い、血の気が引き、汗が吹き出しました。
数分後、日航機の乗客は既に全員脱出していると報道され、胸を撫で下ろしました。
(後に、海上保安庁の5名の方が亡くなったことを知りました)
そうこうしていると、「当機の行き先は、羽田空港から成田空港に変更となる」旨の
機内アナウンスが入りました。
モニターでも羽田空港から、
成田空港へ変更となりました。
後で知ったことですが、他の小さな空港や、引き返す便もあったとのこと。
乗らなかった最終便をANAのHPで確認すると、
欠航となっていました。
もし、今の便に乗れていなかったら、また今日も小松空港で過ごすか、どこかホテルを探すのか。。。
羽田空港での事故の直後だったため、気が気じゃなかったですが、無事に着陸。
緊急着陸の為、もちろん搭乗口などは無く、許可を得てドアが開くまで相当時間を要しました。
その後、空港変更に伴い当初の羽田までの交通費支給に関する書類を、ANAのスタッフから受け取りました。
(後日、1人につき、3,600円が口座に振り込まれました)
急ぎ足で成田空港駅へ向かい、成田エクスプレスの乗車券を発券します。
無事、座席を確保出来たので、コンビニで食料を購入し、ホームへ。
成田エクスプレスに乗って、横浜へ向かったのでした。
今回の金沢旅行、最後日にこんなことが起こるとは想像もしませんでした。
2024年1月1日の元旦に、あんな大きな能登半島地震が発生するなんて。
空港にて被災し空港で夜を明かし、翌日の飛行機になんとか乗れたものの、
今度は羽田空港にて衝突事故が発生。行き先が成田空港へダイバート。
今、無事に過ごすことが出来ていますが、考えようによっては、
(以前行った見附島や禄剛埼灯台、白米の千枚田、輪島の朝市を予定していた時があった)
・海上保安庁の飛行機の出発が数十分遅れていたら。。。
能登半島地震により甚大な被害を受けられた方々には心よりお見舞いを申し上げます。
義援金という形でしか支援することは出来ませんが、一日も早い復興をお祈りいたします。
また、旅行中において、このような事が起こる可能性があるということを今回実感しました。
いつ起こるか分からない地震ではありますが、頭の片隅に入れながら、行動していこうと考えます。
非日常を味わえる趣味の旅行をやめようとは全く思いません。
これからも、奥さんと休みが合えば、日本全国、旅するつもりです(^^